すぐになくなる新しくなる

本に囚われています。

「ソナタ形式」といえば

『1日1ページ、

 

読むだけで身につく世界の教養365』

 

を読んで思いついたことを書く遊び」

 

の159回目です。

 

色んな種類が試せる「アソートパック」好きの方はきっと、

 

ソナタ形式が好き…

 

そんな気にさせてくれるこの項目をぜひ、

 

みなさんにも読んでいただきたいです。

 

ソナタ」といえば、

 

人から「そなた」、

 

と呼ばれたことはありますか。

 

私はあります。

 

うちのお母さんに「そなた」と呼び掛けられ

 

そのままやんわりと叱られた経験があります。

 

「そなた」という言葉は

 

目上のものが下のものに呼びかける時の言葉ですが、

 

たぶん死語…。

 

さて、このような二人称を示す言葉はこの他にも

 

「そち」というものもあります。

 

いずれにせよ私の頭の中では、

 

アニメ「一休さん」に出てくる将軍様の声で再現されることが多いです。

 

年がバレます。

 

今のところ、うちのお母さん以外の人から

 

「そち」「そなた」

 

で呼ばれたらきっと無視しちゃう。

 

お父さんから呼ばれたとしても

 

「どうしたの?キャラが違うよ?何か発症したの?」

 

くらいは思ってしまいます。

 

人間はやはり、

 

その人が使う言葉で出来ているものですね。

 

 

 

 

以上「ソナタ形式」からの

 

「(外来語なんだけど日本語と似た響き、つながりで…)

 

いつかアンジャッシュのあの人に

 

リヒャルト・ワーグナー』さんの奥さんですよね?

 

と話しかけて

 

『児島だよ』って言われたい」

 

でした。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

「催眠状態」といえば

『1日1ページ、

 

読むだけで身につく世界の教養365』

 

を読んで思いついたことを書く遊び」

 

の158回目です。

 

人を催眠状態に導く

 

基本的な3つの方法に興味のある方はぜひ、

 

この本のこの項目をお読みになって下さい。

 

 

かなり前にテレビ番組で

 

お笑い芸人の方が催眠術に掛けられて

 

「ダイナマイト」になる、

 

という映像を見ました。

 

「あなたは、カウントダウンが始まると、

 

ゼロで、爆発します」

 

みたいな事を言われたその芸人さんは

 

目をトロンとさせながら公園を歩き

 

カウントダウンが始まると

 

「あぶな〜い。ばくはつするぞ〜」

 

と言いながら広場で生気のない声をあげ走り回り

 

「3、2、1、ゼロ!」

 

というカウントダウンとともに

 

「どかあ〜ん〜」

 

と言いながら両手と両足を広げて飛び上がり

 

そして、

 

地べたに四つん這いになって静かになりました。

 

程なくして催眠を解かれるまで、

 

彼の目は始終半開きで、

 

生き生きとした印象が全くありませんでした。

 

 

以上「催眠状態」からの

 

「その芸人さんの死んだような眼差しを見ていると、

 

『人間て、やろうと思えば何にでもなれるよ(キラキラ)』

 

などと無理やりポジティブに解釈することは出来ない映像でした。」

 

でした。

 

ではでは。

 

 

 

 

「葛飾北斎」といえば

『1日1ページ、

 

読むだけで身につく世界の教養365』

 

を読んで思いついたことを書く遊び」

 

の157回目です。

 

葛飾北斎」が何に影響を与えたのかは

 

とても有名ですが、

 

何から影響を受けたのかについて知りたい方はぜひ

 

この本のこの項目をお読みになって下さい。

 

本当かしら?って思っちゃいましたが、私は。

 

さて、「葛飾北斎」といえば「浮世絵」

 

「浮世絵」というとなんか、「春画」のことを

 

思い出したりしませんかね?

 

その昔、(昔…)

 

私が高校生だった頃のこと。

 

我が家では「太陽」という雑誌を毎月購入していました。

 

両親が創刊号からずっと買い続けていたのです。

 

メインストリームからサブカルからマニアックまで

 

実に様々なジャンルの文化を

 

今から考えると大変ゴージャスな切り口と執筆陣で紹介してくれる、

 

たいへん素晴らしい雑誌でした。

 

私に芸術や様々なカルチャーに対する知識の広げ方を教えてくれたのは

 

この雑誌「太陽」だ!と言っても過言ではありません。

 

物心ついた時からずっと読んでいました。

 

そのおかげか中学生の時から

 

澁澤龍彦が好きでした。

 

両親も私が「太陽」を読むことを特に

 

止めるようなことはなかったのですが、時折、

 

見せてくれない号がありました。

 

それは、「ヌード」特集と「春画」特集の時でした。

 

中学生の時は

 

「今月は『太陽』お休みだよ」

 

と言われれば信じていたのですが

 

高校生になるとそのような嘘に

 

騙されることはなくなりました。

 

高校生の頃、

 

「この表紙の本を買うのはちょっと…」

 

と躊躇われるレベルの

 

「太陽」の「春画」特集号が発売になったことがありました。

 

両親の留守を見計らい本棚の中からその号の中身を見ました。

 

タコとお姫様(?)のあの、有名な春画に胸を射抜かれました。

 

ものすごく色々な種類の感情が押し寄せました。

 

すごいものを見てしまったと思いました。

 

しかし!気づいた時には玄関から物音が聞こえてきました。

 

両親の帰還です。

 

私はものすごい勢いで本を元の場所に戻し、本棚から離れて

 

何食わぬ顔をしてお父さんとお母さんに

 

「おかえりなさい」

 

と言いました。

 

その場はなんとか誤魔化すことができましたが

 

私はなんとかもう一度、あのタコとお姫様が見たかったのです。

 

ゆっくりじっくり、親がいつ帰ってくるのかとか

 

そういうことを気にせずあの「太陽」を読みたい!

 

…そんな私はある日、気付いてしまうのです。

 

高校の図書室が「太陽」を定期購入していることに。

 

お陰で私は、

 

お弁当を食べ終わった昼休みに

 

一人るんるん気分で図書室へ行き、

 

たっぷりと春画特集号を眺めることが出来たのでした。

 

 

以上「葛飾北斎」からの

 

「今思うと

 

両親に『春画特集』を鑑賞しているところを

 

見られない代わりに

 

同級生をはじめ学校にいる人たちに

 

春画特集』を眺めているところを

 

見られても構わなかったという

 

かつての自分のハートがちょっとわからない」

 

でした。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポストコロニアリズム」といえば

『1日1ページ、

 

読むだけで身につく世界の教養365』

 

を読んで思いついたことを書く遊び」

 

の156回目です。

 

アジアの某国では

 

日本の植民地だった時代を懐かしみ

 

「あの時代は良かった」と思い出す人が

 

大勢いるらしい、

 

という話を聞いたことがある人は是非

 

この本のこの項目をお読みになって下さい。

 

 

日本とかカナダはどこの国の属国なのかなあ

 

などと時々考えることがあります。

 

しかし、それを考えたところで

 

その気持ちを文学に落とし込もう

 

とは思わない私です。

 

どんなに征服者もしくは支配国の為政が

 

素晴らしくても、

 

自分の国が植民地になるって

 

なんか、ヤな感じがします。

 

自分たちでこれからやってきますから

 

さようなら、

 

とでも言いたくなるのではないでしょうか。

 

ただ、第二次世界大戦後にもしも

 

日本の占領国が別の国だったら…

 

などと考えると

 

「あの国に占領されたのはましな方だった」

 

という考えが成り立つのかなあ

 

とも思います。

 

以上「ポストコロニアリズム」からの

 

「歴史にifはないというけれど、

 

妄想を掻き立てやすい仮定ですよね。

 

『プロット アゲインスト アメリカ』とか

 

『高い城の男』とかは

 

『逆ポストコロニアリズム』みたいなものなのか?」

 

でした。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ベンジャミン・フランクリン」といば

『1日1ページ、

 

読むだけで身につく世界の教養365』

 

を読んで思いついたことを書く遊び」

 

の155回目です。

 

ベンジャミン・フランクリン」さんが

 

何人兄弟の何番目の子供だったのか知りたい方はぜひ、

 

この本のこの項目をお読みになって下さい。

 

もしかして「ベンジャミン・フランクリン」さんが

 

そこのお家の第1子だったら、

 

職人だったお父さんの後を継がされていたのかな?

 

でもきっと

 

ベンジャミン・フランクリン」さんのような多才な人物は

 

人生のどこかで敷かれたレールから逸脱して、

 

やりたくてたまらないことをやって結局は

 

歴史に名を残すのでしょう。

 

 

 

 

多才な人物、好きです。

 

星野源さんが好きです。

 

もしかしたら

 

「私が好きな星野源さんは多才である」

 

と言ったほうが正しいかもしれません。

 

星野源さん、素敵だなあと思います。

 

私はそんなに芸能人に夢中になって

 

きゃあきゃあいうタイプでは無いけど、

 

星野源さんはまあ、

 

ふつうに、とてもファンです。

 


ふと、年齢と共に移りゆくファンの心理、

 

について考えてみました。

 

星野源さんファン」をモデルとしてお送りします。

 

 


幼少期

「げんさんだいすきー」

 

 


物心つき始める小学生くらいからの時期

「げんさんかっこいい!げんさんに会ってみたーい」

 


中学高校の頃

「あー源さん良いわー。

 

うちのクラスにいないかなー。

 

いないよなー。

 

あー、うちのクラスの男子ときたら」

 


大人に近づいてきた期

「今度のライブで物販買い占めたいから

 

バイトしまくって絶対コンプリートしたる!」

 


大人期

「あー源さん私と付き合ってくれないかなー。

 

あー好き。

 

どこに行ったら知り合えるのかなあ。

 

いきなり「付き合って」

 

とか言われたらどうしよう。

 

そうなったら〇〇(彼氏の名前)と別れなくちゃなあ」

 


生活・仕事に追われてる期

「ライブ、

 

もうちょっとで源さんのライブがあるんだから、

 

それまで頑張ろう。

 

源さんに会うまでは死ねない。

 

大丈夫。私ならできる。

 

私なら資料を完成させられる!」

 


彼にプロポーズされた期

「イエス」、

 

と答えた一瞬だけ彼のことで頭がいっぱいになる

 

がすぐに、

 

「結婚式で恋ダンス踊ろ!

 

特訓してあげるから、大丈夫だから」

 

 

 

子供生まれた期

「あーーー!

 

どこからその限定ポスター出してきたの!?

 

あーーー!

 

なんでミッキーのシール貼っちゃったのよおおお」

 

 

 

子供、大きくなってくる期

「もー〇〇(子供の名前)もほんっとに

 

源さんのこと好きだよねー。

 

今度のライブ、

 

ママと一緒に行こうねえー」

(英才教育の成果)

 


子供、さらに大きくなってくる期

「あー、源さんまだ独身かあ…。

 

でも、私、不倫する気は無いのよね…

 

それはいけないと思う。

 

いくら源さんでも不倫はだめよ…」

 


子供が巣立った期

「うちの子、

 

源さんと結婚したりしないかしら。

 

でも、そうすると私、源さんの姑ね…。

 

同居…できるかもしれないわね…。

 

二世帯住宅…」

 


孫が出来る期

 

「やだもー!

 

いきなり恋ダンスでスタート!!!

 

踊らなきゃー」

(ライブからの整形外科受診コース)

 


孫が社会人期

「源さんおはよう」

 

「おはよう」

 

「源さん今日も素敵」

 

「ありがとう」

 

(源さんVRでお楽しみ中)

 


年を取ったなあと感じる今日この頃期

「あー、冥土の土産に一度、

 

源さんとデートしてみたいわね。

 

あら、あなたごめんなさいね。

 

あなたのことだって忘れちゃいませんよ」

(夫の遺影に笑いかける)

 


100年間近く生き続けてきた期

「源さんおはよう」

 

「おはよう」

 

「源さん今日も素敵」

 

「ありがとう」

 

(源さんVRなし)

 


源さんファンとして最高潮に到達期

「あ、源さんが向こうで恋ダンスをしてる!

 

    河を渡らなくちゃ!!!」

 

 

 

 


以上「ベンジャミン・フランクリン」からの

 

ヘテロセクシュアルの女性バージョンでお送りしましたが、

 

偏見や妄想が過ぎる部分がございましたら大変申し訳ありません」

 

でした。

 


ではでは。

イエスの復活

『1日1ページ、

 

読むだけで身につく世界の教養365』

 

を読んで思いついたことを書く遊び」

 

の154回目です。

 

一度死んだことになってる人の復活話が

 

たとえあの「イエス」の話であっても、

 

教養を深めるためのこの本の中では

 

かなり冷静に語られるのだ、

 

ということを確認したい方は是非

 

この本のこの項目をお読みになってください。

 


天に召されたいはずの人の復活といえば、

 

火葬場で焼かれ始めた人が

 

炎の熱のショックで生き返りそのまま…。

 

という話を小学生の頃聞いて

 

しばらく眠れなくなってしまう

 

ということがありました。

 

怖い話を聞いた時は

 

お母さんに相談して慰めてもらうという手もありますが、

 

この火葬場の話は母から聞いたのでもう、

 

どうしようもありませんでした。

 


以上、

「イエスの復活」からの

 

「人はこのような過程を経て

 

心を強くしていくのかもしれません。

 

ちなみにうちのお父さんは

 

ドライブの最中に火葬場を見つけると、

 

すぐに指を差して教えてくれる人でした。」

 

でした。

 

ではでは。

「認識論」といば

『1日1ページ、

 

読むだけで身につく世界の教養365』

 

を読んで思いついたことを書く遊び」

 

の153回目です。

 

自分は本当は何も知らないのだ

 

ということに気付きたい方はぜひ、

 

この本のこの項目をお読みになってください。

 

「認識」というワードから思いつく最近の出来事は、

 

フェイクニュース」をどう見分けて行こうか困っている、

 

ということです。

 


正しいと思っていたことが間違っていて、

 

良いと思っていたものをそう思えなくなる

 

というサイクルが早くなってきている、

 

と、感じています。

 

最近私が騙されたフェイクニュースは、

 

子供向けの動画かと思っていたら

 

突然怖いキャラクターが出てきて

 

見ている人(ちびっ子)に自殺を促して

 

そのために本当に亡くなった子供がいる、

 

というものでした。

 

怖くて周りの人に話したところ、

 

その数分後にそのニュースはほぼ丸ごとフェイクで

 

さらに、その怖いキャラクターのデザインに

 

勝手に画像を使われたデザイナーさんが

 

とても迷惑したという記事を読み、

 

また周りの人に話す、

 

ということをやってしまいました。

 


自分のことをかっこ悪いなあと思いました。

 


さらに、

 

「この人なかなか面白いこと言ってるなあ、

 

私に興味のない活動もすごく推してるけど、

 

要チェックの人だなあ」

 

と思っていたネット上の有名人が

 

なんだか怪しい人物に見え始めてきたので、

 

その人に対する興味が急に冷めてしまい、

 

その人に興味を持ったこと自体を

 

後悔したこともありました。

 

とは言え

 

「何が確かなのか分からない」

 

などとたやすく絶望するには至っていません。

 


しかし、「良い」と思っていたものへの評価や判断が

 

「そうでもない」「間違っていた」「悪い」

 

に変化することが最近多いような気がするのです。

 


なぜ急に

 

こういう感覚になるのかと思ったら、

 

たぶんなんですが、

 

最近ツイ廃気味だからなんです。

 

(ほぼ見る専門だけど)

 


多くの新しい情報に次々触れていると、

 

頭の中で反芻したり再考するまもなく

 

どんどん次のネタに触れていくサイクルに

 

飲み込まれます。

 


結果、

 

自分が一度取り込んだ情報を

 

精査したり否定したり補強したりする情報も

 

次々取り入れることになり、

 

自分の頭で考えないうちに、

 

少し前の情報を訂正し続けるハメになるのです。

 


自分の頭の中で考えないものを

 

次々組み合わせていくと、

 

自分の頭を使ってない分、

 

自分自身がどんどんと

 

訂正されていくような気持ちも強くなります。

 


というわけで最近、

 

正しい情報を自分で

 

見つけられないでいるように感じているのでした。

 


以上「認識論」からの

 

「この辺のことが書いてある本を読みたいなあ」でした。

 

ではでは。